観劇レポート
この国に、「アートシックバランス」という生き方も
丘田ミイ子
ここ数年、私はある指定難病の周知と理解、そして「病気とともに働く」という考え方を社会に定着させるべく発足されたある企業のプロジェクトに参加をしていた。公開イベントでの有識者ディスカッション、患者間のセミクローズドミーティング、オンライン就職相談、それらの取材を元にWEBや冊子に文章を掲載する。広告として出される記事、病院等で配布されるリーフレット、トイレットペーパーに文章を印字した商品タイプのものなどあらゆる形式の媒体に寄稿をしたが、それらの納品原稿の末尾に書く言葉はいつも決まっていた。
“この国に、「ワークシックバランス」という考え方を”
当時の私はまだこの言葉が本当に意味するところを、その切実さを理解していなかった。『I’m STILL on the mend』という演劇を観ながら、その中に確かに在る人間たちの身体と声を追いかけながら、頭を働かせ、心を動かしながら今を生きる石原朋香という人ひとり、唯一の存在であるその体温と言葉をすぐそこに感じながら、私は改めてそんなことを思っていた。
中野の水性で上演された『I’m STILL on the mend』は、こもごも団のメンバーで俳優の石原朋香さんが2023年に「成人スティル病」という疾患を発症し、2ヶ月ほど入院した時の日記をもとに創作された舞台作品である。観劇にはその元本の日記がセットになっており、入院が決まった2月24日から退院の4月22日までの日々の様子が160ページにわたって綴られている。
体の異変、その始まりは皮膚の変化だった。元々蕁麻疹持ちだったという石原さんは、ある日突然見たことのない激しい発疹を確認する。そこから「成人スティル病」と診断がおりるまでにはまず除外診断というものがあり、つまり一つの症状や数値だけだと病気が特定できないため、他に可能性のある疾患を除外しながら診断を進めていくらしい。それは例えば甲状腺の病気であったり、感染症であったり、がんであったりする。いくつもの病の可能性を抱えながら、いくつもの日常を過ごすということ。台本を読んだり、稽古をしたり、演劇を上演したり、それら表現や芸術に関わる日々を営むということ。その時間を想像するだけで、足もとがぐわんと揺らぐような心地になった。病名が決まる前から、入院する前から、治療が始まる前から石原さんの闘病は始まっていたのだ。そしてその時、私ははっきり自覚しておかなくては、と思った。その時間は、この演劇と本だけで語り尽くせるものでもなければ、到底理解できるものでもない、と。これらはあくまで一部である、と。そして、その一部の向こうにある全部をできる限り想像しよう、と。そんな気持ちで私はこの演劇に触れ、本を手に取った。
舞台にはおもに二つの時間と空間があった。
病院の中の様子を描いた演劇と、水性の中で出演者が個人として重ねる言葉や対話。石原朋香、杉本音音、中島梓織、藤家矢麻刀という4人のパフォーマーがそれぞれ本人や医師や看護師や患者を演じる時間と、石原さん、杉本さん、中島さん、藤家さんとして自身の体や心について話をする時間。実際に起きたことと、実際に起きていること。過去と現在の二つの時間と空間がシームレスに存在し、密接に関わり合う。私たち観客の座る客席は、水性という空間の大きな特性である透明の自動ドアを臨む形で組まれていて、パフォーマーたちはそのドアに背を向ける形で演劇を始める。対話を重ねる。私の隣には偶然、大切な友人が二人座っていて、並んでその演劇を見つめ、対話を聞いた。
上演の間は自動ドアもシャッターも閉められていて、外の様子はわからない。劇場というものは往々にしてそうであるはずなのに、この作品においてはそのことがとても象徴的であるように感じた。ある種の外界との隔絶、こんなに近いのに果てしなく遠い自分と世界、そんなえもいわれぬ距離感が立ち上がっていた。その中で、「石原さん」は入院生活を送り、人生を送る。仕事をし、表現を続ける。ステロイドを服用し、数値の変化や副作用に一喜一憂し、医療スタッフと会話を交わし、隣人の様子をそっと見守り、心でハグを交わす。後にこうして演劇や書籍となる日記を書き、いくつもの本を読み、絵を描き、編み物をし、確定申告や助成金のリサーチやオンラインミーティングをする。それらの日々は本当に目まぐるしく、涙ぐましい心身の奮闘そのものだった。自分の体なのに自分の思うようには扱えないやりきれなさ、先行きのわからない怖さ、そして、それに対して、時には「それでもこれは誰でもない自分の体なのだ!」と奮い立たせてみたり、また時には「全部を自分のもの」とは思わないようにすることで心を守ったりすること。石原さんは、めちゃくちゃ働いて、めちゃくちゃ表現して、めちゃくちゃ闘病していた。それは本からも痛いくらいに伝わってきて、手書きのあたたかい文字とかわいらしいイラスト、夏休みの絵日記のようなやわらかさの中に、春を待つ長い冬のような険しさがあった。寂しさがあった。やるせなさがあった。そうして、それでもなお自分で自分を励まそうとする、あるいは、落ち着かせようとする人の凄まじいエネルギーがあった。私はそれを少しずつ読んだ。石原さんの過ごした1日1日を追体験するように、なるべく時間をかけて少しずつ少しずつ読んだ。
中でも印象的だったのが、石原さんが描いた病室から見たビル街の景色だ。舞台にも出てきて、本の表紙にもなっているそれは、なんというか、とても静かな絵だった。音のない、色の少ない景色だった。そうでありながら強烈に「叫び」であった。幾重にも乱立するビルの向こうに何層にもなった空が描かれている。上の方は青空で、その下には白い雲が立ち込め、そのさらに下は灰色がかった霧のようになってビルの頭を覆っている。まさに心象風景のような空模様だった。それは紛れもなく、病を経由した「表現」だった。「芸術」だった。その絵だけではない。舞台で描かれていたこと、本の中で綴られていたこと、その全部がそうであった。それはまさに「病気とともに表現する」ということだった。どこにいても、どんな体の状態であっても石原朋香は俳優であった。表現者であった。そうあることを一瞬たりともやめていなかった。私にはそう思えた。
前述した通り、劇中にはパフォーマーらがそれぞれ個人の体や心、その体験や状況を語る時間もあった。それは石原さんに心を寄せて紡がれた言葉たちであるようにも思えたし、石原さんが3人に向ける信頼という眼差しであるようにも感じた。「演劇の中で対話が描かれている」と感じることはしばしばあるけれど、「演劇が対話の場になっている」と感じることはそう多くない。しかし、『I’m STILL on the mend』はそうだった。3人のパフォーマーが石原さんとともに体や心と対峙し、病気や表現について真摯に立ち向かう姿があった。それを観客へとひらこうとする姿があった。そのことに私の体や心は確かに励まされ、そして、私もその対話に参加をしたい、と強く思った。
数年前に子宮頸がんの検査に引っかかり、手術を二度受けた。その出来事は確かに私の生き方にゆらぎを与えた。冒頭に書いた企業のプロジェクトに参加を決めたのも、そのことが理由だった。取材対象は一般企業に勤める会社員の人たちであることがほとんどだった。だけど、「病気とともに働く」という考え方を本当の意味で社会に定着させるためには、もっとあらゆる「働き方」を選んでいる人を見つめなければならない。もっとさまざまな「生き方」をしている人の声を聞き、姿を追わなくてはならない。それは例えば、病気とともに表現や芸術を続けるということ。この国には、「アートシックバランス」という生き方も必要なはずだ。
演劇が終わる頃、締められていたシャッターが開けられ、水性という空間の大きな特性であるあの透明のドアも開けられた。劇場を後にする時というものは往々にしてそうであるはずなのに、この作品においてはそのことがとても象徴的であるように感じた。外の様子がわかる。光が入る。音と色彩が増える。人々が歩く。より町へ、より遠くへと過ぎ去っていく。その姿を私たちはこの目で見つめ、そのうちの何人かがこちらを見る。隣に大切な友人がいる。私たちはこうして今を生きている。今日明日体や心が突然変わってしまう可能性を等しく背負いながら。病める時と健やかな時、そのどちらかを自分の意思では選べない体を抱きながら。
退院の朝みたいな風景を眺めながら、石原さんが2ヶ月の間見つめた景色、17階の病室から見たビルの絵をふと思い出す。水性の透明のドアのそばに腰を下ろしてギターを奏で、歌を歌っている石原さんを見つめながら「石原さんがこんなにすてきな音楽家でもあったことは知らなかったな」と思う。そして、「これはさすがに病室ではできなかったのだろうな」と思う。だからやっぱり、私がこの演劇で、この本で知った石原さんの過ごした時間は、姿はごくごく一部なのだろう。もっと多くの心や体が、痛みや苦しみや祈りが、表現や芸術があるのだろう。それでも、私はその一部に立ち会えたことを嬉しく思う。そして今、その真っ直ぐと透き通った歌声をこうしてここで聴けていることをもっと嬉しく思うのだ。
丘田ミイ子(文筆家)
2011年より『Zipper』『リンネル』などの雑誌で文筆業を始動。
現在は『ローチケ演劇宣言!』『演劇最強論-ing』演劇批評誌『紙背』『NiEW』などの媒体で演劇のインタビューや劇評を中心に執筆。
CoRich舞台芸術まつり!や東京学生演劇祭などの審査も務める。『週刊ヤングジャンプ』にて「ヤンジャン演劇広報部」を連載中。
ほか『誰が為のわがままBODY?』(USO vol.6)、『人に非ず優しい夫、いい夫婦でない私たち』(note)などエッセイも執筆。