石原朋香×haru. 

生きながら、つくる。つくりながら、生きる。

I’m STILL on the mend」は、作・演出を手がける石原が、自身の入院中につけていた絵日記に基づく、本と舞台公演から成るプロジェクトである。公演に先立ち、学生時代からインディペンデントマガジン『HIGH(er)magazine』を制作し、現在では株式会社HUGやインナーウェアブランド「HEAP」を手がけるなど、本という表現媒体を飛び出して活動しているharu.との対談を実施。大学時代の同期生でもある二人が、本や舞台というそれぞれの表現について、そして「つくること」そのものへの想いを語った。

本で、舞台で、コミュニケーションをとりたい


—お二人は、『縫って、着て、歩いた』というZINEを共作されていたんですね。これはいつ、どんなきっかけでつくられたんですか?


石原:コロナ禍だった2020〜2021年に、近所に住んでたんです。わたしは学生で、haru.は起業して1年くらい経った頃かな。haru.が住んでたマンションの下まで行って『ロミオとジュリエット』みたいに、ベランダに向かって手を振っていました(笑)。

その前からharu.とは「一緒にZINEつくりたいね」と話していたので、コロナ禍の文化芸術助成が採択されたのをきっかけに、「やろうよ」「うん良いよ」みたいになって。ご近所さんだし一緒に散歩でもしようと話して、始まったんじゃなかったかな。


haru.:懐かしいね。暇すぎない? こんなにいっぱいつくって(笑)。


石原:うん、たぶん暇だったんだよ。手製本で、ワンピースの端切れを表紙に手縫いしています。時間がかかったけど、「完成させなくては!」みたいな執念でつくったなあ。

—石原さんは今回、舞台公演と合わせて、ご自身の絵日記をまとめた書籍を制作されていますね。


haru.:(絵日記をめくりながら)上手いね。これを書けるくらい元気な時もあったってこと? ちょっと余裕があるみたいな。


石原:ずっと元気だったの。わたしは。


haru.:そうなんだ。


石原:入院する前から自宅でステロイドを飲んでたんだけど、効き目がよくないから量を増やさないといけなくなって。量を増やすと感染症にかかりやすくなるから、病院で管理しましょうっていう理由で入院したの。入院期間がどのくらいになるか分からなかったから、「この経験を何かしらの形にしたい。これをアーティスト・イン・レジデンスにしよう!」と思って。スケッチブックとか、デコるためのステッカーとか、素材になるものをたくさんポチって、荷物いっぱいで入院した。


haru.:すごいね。ふつう、形にしようと思わないよ。


石原:形にしないと、悔しくて。成果をまとめたいと思った時、まずはやっぱり自分がずっとやってきた演劇をつくりたいと思ったの。でも、入院している時は何も観に行けなかった。


haru.:そっかあ。


石原:舞台って質量があるというか、重たく感じる部分もあるんだけど、そのぶん色々な人の視点が混ぜられるものだと思っていて。つくる時もそうだし、例えば誰かと一緒に観た帰り道で「実はわたしもね……」って話してちょっとスッキリする、みたいなことが起こりやすいとも思ってる。


haru.:うんうん。でも、今回のテーマは相当パーソナルなものなんじゃない?


石原:そうだね。正直抵抗感もあるし、一人だけでつくっていたら、たぶんもっと濃すぎるものになっていたと思う。それをちょうど良い濃度にしたいと思って、色んな人に関わってもらっているところがあるかも。一緒につくってくれているメンバーの中には、双極性障がいとともに生活している人とか、わたしと同じ頃に同じくらいの期間入院していた人もいて。違う病、違う悩みなんだけど、似たような状況を経験している人たちと、それぞれの共通点とか違いを比較しながら進めてるんだけど。色々と話していると、つい自分の話を忘れてしまうというか、すごく興味深くて。いまちょうど、舞台の構成をまとめていて、全体がどういうふうになるか考えてるところ。


haru.:楽しみだね。


石原:うん、楽しみ。それと、かかってる人が少ない病気だったのもあって、他の人がどうだったのかがすごく気になった。だから、いわゆる闘病記として成立する冊子というメディアと、自分のライフワークとしての舞台を両方やれたらいいなと思って。


haru.:本だったらどこでも読めるもんね。


石原:そうなんだよね。いま正に闘病中の方にも届けられる。
薬の副作用で眉毛がめっちゃ生えて、繋がりそうになってた時期があったんだけど。


haru.:フリーダ・カーロみたいに? なんかお母さんが整えてくれた日記、見たかも。それって、眉毛に限らず体毛が濃くなるの?


石原:そうそう。顔の横とかもすごく濃くなった。退院直後くらいに、そのことをInstagramにアップしたらね、似たような病気にかかっている方から「わたしもです!」みたいなリアクションがあって。こういう個人的なエピソードを提示すると、受け手からも返って来るものがあるんだな〜って実感したんだよね。

—haru.さんは、2015年から『HIGH(er)magazine』をつくっていますよね。本をつくるようになったきっかけはあるんですか?


haru.:ZINEは、ドイツに住んでいた高校生の頃につくり始めました。その頃の唯一の楽しみが、Amazonで気になる本をポチることだったんですよ。もう、学校がつらすぎて。小学生の頃にドイツに住んでいたとはいえ、言語の壁はあるし。毎日めっちゃしんどくて。当時はSNSも今ほど身近じゃなかったから、何か読みものを読まないと、日本語に触れられない環境だった。日本語にとにかく飢えていた時、Amazonで「ZINEを作ってみよう」みたいな本を見つけて。


石原:よく辿り着いたね!


haru.:ジャケ買いみたいな感じ。確か、わたしが大きな影響を受けた、林央子さんの『拡張するファッション : アート、ガーリー、D.I.Y.、ZINE…』っていう本と同時期に買ったのかな。D.I.Y.みたいなジャンルとか、色んなブランドを知って「こんなカッケー人たちがいるんだ! 自分もやってみたい!」と思って、ZINEをつくり始めました。言葉への信頼が低かったから、言葉じゃないもので自分を表現したいと思ったのがスタートかな。人とのコミュニケーションで、言葉が一番適してるとは今でも全然思ってなくて。だから、ZINEでコミュニケーションをとりたいなって。


石原:あれだよね、クラスメイトのみんなにオリジナルTシャツをつくる、みたいな。


haru.:そう。その前にもイラストとかは描いてたんだけど、高校卒業のタイミングで、クラスメイト全員にTシャツをつくりました。それぞれに合わせてサイズ感とかデザインを決めて、アイロンプリントして、ロケーションも決めて撮影して、それを1冊の本にまとめて。


石原:めちゃくちゃな作業量だね。


haru.:確かに、結構なプロジェクトだね。でもそれをつくって、「これこそわたしの最適なメディアだ!」と思ったの。それで、絶対にマガジンをつくりたいと思って大学に入ったんだよね。


石原:なるほどね。プランを立てて、関係性をつくって、インタビューして、服をつくって、場所を選んで、撮影して……っていう、1冊にまとめるプロセスの一つひとつが、haru.の表現っていうか、かなり厚みのある行為だよね。


haru.:そうだね。「わたしがあなたのことを思っています」っていう時間が一つずつ重なって、やっと本ができる……自分でもちょっと重いなって思った(笑)。自分にとっては、マガジンって結構そういうもので、商業的な雑誌とはかなり性質が違うものではある。

その重さと軽さのバランスがめっちゃ面白いと思ってて。相手に対しては大きな思いをもっているんだけど、それを雑誌にまとめることで軽さを保っているというか。そういうバランスが自分の中でちょうど良くて、それ以外のメディアでそういうことをするのがあんまり想像できないんだよね。


石原:なるほどね。確かに、本だとページをめくるペースもその人が選べるし。


haru.:そうそう。かなり読み手、受け手のコントロールがきくメディアじゃん。それも良いところだなと思ってる。

“いつも通り”がくれる、生の手ざわり


石原:入院していた時、ちょうどharu.とmiyaちゃんのPodcast『take me high(er)』が始まったばかりの頃だったから、めっちゃ聴いてたよ。


haru.:これもまた特殊なメディアだよね。本当にリスナーとの話し手の距離が近い。Podcastはわたしも15番組くらい聴いてて、会ったことないのに、パーソナリティの存在を近くに感じるもん。


石原:声って、すごいよね。


haru.:うん。本当に嘘をつけない。あれ、今日この2人ちょっとギクシャクしてない? とか、ちょっと疲れてるのかな、とか。全部出てるから、丸裸な感じあるよね。


石原:haru.とmiyaちゃんの番組にも「深夜のヘトヘト回」みたいなのがあるよね(笑)。「今23時半なんですけど」「言うな言うな」みたいな会話を夜中に聴きながら、お皿を洗ったことあるよ。

Podcastもそうなんだけど、入院を経て、闘病している人の文章をすごく読みたくなって。西加奈子さんの乳がんの闘病記『くもをさがす』とか。入院して絵日記をかいていた時期は、不思議とフィクションの本があんまり読めなくて。エッセイとか闘病記、詩、あとは「看護師の仕事」みたいな新書とかを読んでたな。たぶん、すごく現実を求めていたんだろうね。


haru.:物語に思いを馳せたり想像したりするには、色んな条件が揃ってないと難しいのかもね。エッセイの方が、「この人が存在していたんだ」みたいな、迫ってくるリアリティがある気がするよね。


石原:他者を求めてたのかもしれないな。


haru.:だからPodcastもちょうど良かったのかもね。


石原:そうかも! 「haru.は今日も元気だな。いつも通りだな」って思えるのが嬉しかったのかも。


haru.:そういう時にいつも通りってありがたいよね。確かに、わたしもコロナ禍でラジオをすごく聴き始めた。ふつうの営みがあることに安心するんだよね。


石原:それだ。

haru.:宮野真生子さんと磯野真穂さんの『急に具合が悪くなる』っていう本、めっちゃ読んでほしいわ。哲学者の宮野さんと、文化人類学者の磯野さんの往復書簡なんだけど。それまでバリバリ仕事をしてた宮野さんが、がんを患って、タイトル通り急に具合が悪くなっちゃうの。そこから本当に「死」に向かっていくことになってしまうんだけど。でも、その間もずっと磯野さんとのやり取りを続けていて。宮野さんが途中で「もう無理かも」みたいに弱気になってしまうタイミングがあるんだけど、そこで磯野さんが「こんなの病人に向かって言うことじゃないけど、やり取りを続けよう」「哲学対話を続けてください」みたいに送る手紙があるのね。なんか、これが結構やばい読書体験なの。全く快方に向かっていなくて、なんなら死に向かってるんだけど、これが生きるってことなのか、と思える本。読んでて、震えちゃった。


石原:そうなんだ。体調不良って本当に突然やってくるから、タイトルに実感をもって覚えてた本だなあ。


haru.:誰しも、最後は死ぬじゃん。そうなった時に自分がどういうふうに終わっていきたいのか、みたいなこともすごく考えた。


石原:そういえば、入院してる時に、お看取りを終えた家族に遭遇したことがあって。デイルームっていう共有スペースに、すごく達成感に満ちた一家がゾロゾロやってきて「いやー、おじいちゃん偉かったねー」「よかったねー」みたいな会話をしてた。入院してたけど自分は元気だったから、それまで、この病院で亡くなってる人がいるって考えたことがなかったんだけど。その家族に遭遇した時、「そうか、同じ空間で普通に人が亡くなってるんだ」って実感して、ショックを受けちゃって。当たり前のことだよなって、思い出した。


haru.:わたしもさ、おばあちゃんが入院してた時、病院に通ってたんだけど。おばあちゃん、具合は悪いんだけどご飯も食べてたし、結構元気だったの。でもある時、本当に急に具合が悪くなっちゃって、同じフロアの一人部屋に移動して。「え? 一昨日までここで普通に喋ってたのに?」と思って。その後そこで亡くなった時も、「あれ? 死んじゃった?」みたいな……めっちゃ不思議だったんだよね。でも、病院の窓から見た夕日が綺麗で謎の安心感もあったし、不思議と落ち着いてて、お腹も空いちゃって。おばあちゃんの遺体と一緒にお寺に向かってる途中、わたし、おばあちゃんの隣でおにぎり食べてて。おばあちゃんが死んじゃったら自分はどうなっちゃうんだろう、きっと取り乱すんだろうなと思ってたんだけど、「わたし、お腹空いてるんだ」って思って、すごい不思議だった。


石原:そんな時にもお腹は空くね。お看取りを終えたその家族も、自販機で飲み物買って「プハー」みたいな、マラソン走って来たみたいな感じだったな。たぶん、良い看取りだったんだと思うんだけど。


haru.:命と対峙するのって、体力いるんだろうね。

つくることを言い訳にしながら、どうにか生きる


—今日持って来ていただいているharu.さんのフォトブック『生きてる?』も、日記のような構成ですね。


haru.:正に日記ですね。スマートフォンで撮った写真を時系列になるよう並べて、後からテキストを入れています。


石原:このテキストは同時じゃないんだ。手書きの文字なのがすごく良いね。

haru.:この中に、25歳の誕生日に撮った写真があるんですけど、めちゃくちゃ泣いてて。


石原:本当だー。


haru.:この日はある企業と一緒に生理にまつわるイベントをやって、家に帰って一人になったとき、すごい泣けてきちゃったの。「わたし、何してるんだろうな……」みたいな。「社会が良くなりますように」って思いながらがむしゃらにやってて……今もそう思ってはいるんだけど、当時は、自分を犠牲にしてでもそのために頑張りたいと思ってたのね。でも、イベントが終わって「もう頑張れないのかもしれない」って思って撮ったのが、この自撮り。つらいんだけど、どこか客観的な自分もいて。「あ、残しておこう」みたいな感じで撮ったんだよね。


石原:その気持ち、めっちゃわかる。わたしも意外と、具合が悪い時にセルフィーを撮ってた。


haru.:苦しい自分と、またちょっと別の時空にいる自分もいるんだよね。具合が悪い状態がそこにある、みたいな。このセルフィーを撮った時は、「これはあくまで今の状態だぞ。これがずっと続いて良いわけないんだぞ」って思ってたの。友だちを亡くしたばかりで、その傷の癒し方がわからなくて。時間が癒してくれるって頭ではわかってるけど、いま正にどうしたら良いかわからない、みたいな。確かその本に、初めてカウンセリングに行って話したことも書いてある。コロナ禍で外にも出られなくて、人とも会えなかったから、自分しか対峙するものがなくなって。そういう、自分の中にある悶々としたことに向き合いながらこの本をつくってた。


石原:わたしも、コロナ禍も入院中も、昔のことばっかり思い出してたな。小学生の時に友だちを傷つけちゃったこととか、そういうどうしようもないことを思い出して「うわ〜」みたいな……閉塞感があるとそうなっていくよね。


haru.:そうだよね。この本の途中で家が切り替わるんだけど、最初は6畳のところに住んでたから、思考もどんどん狭まっていく感じがあったな。たぶん、いつかこのことも忘れちゃうから、記録として撮り溜めてた写真をまとめたいと思ってつくったんだよね。

この時は、自分の好きなものもよく分からなくなってて。自分が何を食べたいのか、何が好きで、どうしたいのかも分からない。でも、人に求められたら応えたいから頑張って、自分はどんどんすり減って。だから、自分を取り戻す意味で、好きなものと向き合ってる時の自分の写真を撮ってもらって、セットで入れた。推し活してるところとか(笑)。


石原:「記録を取っとこう」「これはいつか絶対使える」みたいな感覚、あるよね。


haru.:これ、美大生あるあるなんだろうね(笑)。全部ネタになる、面白くいたい、みたいな。大学生の時に自分の中に備わってしまって、面白くいられない時にも出てきちゃう、みたいな感じがあるな。苦しいけど、いつかネタになるんじゃないかなって思う。


石原:そうやって、どうにか生きていこうとしてるのかもね。逃げ場がある、つくることで生かされるっていうか。


haru.:めっちゃそう思う。そう考えたら、そういう発想で生きられるのは良かったかもとは思うね。わたしはそれで食って来てるっていう自負もあるし。格好つけるんじゃなくて、とことん自分のことをさらけ出して、それを見た人が共感してくれて、お金を払ったり感想を伝えたりしてくれてるんだなっていうのは、忘れないようにしてる。


石原:さらけ出すことにも難しさはあるじゃない? でも、そうできたほうが楽っていうか、納得して生きていける感じがあるよね。素直につくれた方が気が楽、みたいな。「えいや」ってつくることもあるけど、表現をすることそのものが、haru.もわたしも、生活の一部になってるというか。つくることが言い訳になっていた方が気楽に生きていける、みたいなところがありそう。わたしは今、仲間がいた! みたいな気持ちになったよ。

mend=繕う、回復する


—生活の中で何かをつくる営みとして、石原さんの絵日記の中では、編み物の描写が印象的です。


石原:編み物や縫い物は、わたしにとって、達成感中毒みたいな……時間をかけてこれができた! っていう達成感が欲しくてやっている部分がありますね。中高生くらいの頃から、メソメソしていると、母に「ちょっとでも良いからなんかつくりなよ! 完成したら嬉しいよ〜」みたいに言われていて。つくっている間は集中できるから余計なことを考えなくていいし、完成したら「色々あるけど、これがつくれたんだから今の時間は無駄じゃなかったな」と思えるのが重要なのかなと。haru.も編み物してたよね?


haru.:うん。出張先の名古屋でコロナに感染して、2週間隔離生活をしていた時に、縫い物とか刺繍をしてた。コロナになったのが、そのときはすごく悔しくて。もともと泊まっていたホテルの裏口からタクシーに乗せられて、隔離生活用のホテルに連れて行かれて。入口にいる人も、全員白い全身カバーとマスクをしてて、「なんだこれ! ヤダヤダー!」って感じで。ホテルの窓が小さくて、開かないの。誰とも喋れないから、ずっと窓の外を見たり、写真に撮ったりして過ごしてた。


石原:窓の外、撮るよね。わたしも入院中は、窓の外の景色をモノクロで描いてコピーして塗り絵みたいにして、今日の空を記録してたよ。


haru.:結構、高層階じゃない?


石原:そう。17階にいたの。今回一緒に出てもらうみんなに、部屋の窓から見える景色について絵と文をかいてもらって、それを舞台作品の中に入れ込もうとしてるんだけど、階によって見えるものが違って結構面白くて。2階だと隣の家が見えて、4階になると、逆に何も見えなくなって。6階になると高速道路が見えたり。入院していたことがある人は、わたしが見てた景色と似てたりね。その子は「向こうに川が見える」っていう絵を描いてくれたんだけど、写真を確認してみたら、川が全然写ってなくて。「どうして川が見えると思ってたんだろう?」っていう話をみんなでしたんだけど、たぶん、窓を見ながら頭の中で想像したことが現実と繋がってたんだろうね。


haru.:窓から見下ろしたら見えるってことか。


石原:たぶんそう。そういうふうに、心で補正していく感じも面白いねっていう話をしたり。

haru.:思い出すな〜。この時は、ご飯が扉の前に置いてあって、「開けていいですよ」って放送で言われてから扉を開けて、取って……その時のカップスープが入ってたビニール袋とかマスクとかも、一緒に編み込んだんだよ。緊急事態ってこんなに自由がないんだ、って心底思った。仕方ないことなんだけど、それをすんなり受け入れるのも違うっていう気持ちもあって。ちょっとした抵抗みたいな感じで作ってたな。


石原:一針ひと針、その気持ちとか状況に対して、風穴を開けたかったんだね。


haru.:そう。悔しかったんだよね。わたしが健康だったら翌日は撮影だったのに、中止になっちゃったの。名古屋まで来たのに! って。


石原:いやー。人生にはそういうことがあるね。


haru.:暴れたいけど、暴れられないし。なんかさ、直接関係ないかもしれないけど、糸をプスプス一刺しひと刺ししてる間に、回復に近づいていってる感じがしたの。健康もそうかもしれないけど、魂の回復みたいな。


石原:今まさに、修復している。


haru.:そうそう。修繕みたいな感じで。別に身体をどうこうしているわけじゃないんだけど、つくったものが身代わりみたいな感じがしたかもしれない。


石原:まさしく「I’m STILL on the mend」だね。絵日記をInstagramにアップする時、アカウント名をどうしようかなと思って、「わたしはまだ回復途中」って翻訳したら、この言葉が出てきたんだよ。「mend=繕う」っていう意味を見て、チクチク縫っている姿が浮かんで、しっくり来たんだよね。


haru.:正にそれだね!


石原:どういう状況に置かれても、きっと我々は何かをつくっていないと、生き延びられないんだよね。そこで得られたほのかな達成感を栄養にして、なんとか生きていこうとするタイプの人類なんだ、わたしたちは。


haru.:ほのかなんだけど、確かなんだよね。

個人的な生をさらけ出した先に


haru.:自分が残さなければこの世からなくなってしまう物事を残したいし、めっちゃ個人的なことの方が共感を生むって、普段から結構思ってるかも。


石原:わたしが作るものも、めちゃめちゃ個人的なところから出発してることが多いな。色んな演劇を観たり、関わったりするなかで、歴史とか社会問題を俯瞰で見るような見方も知ったけど、わたしは自分の記憶とか経験に結びつけて観ていることが多くて。やっぱり、つくった人がその時に感じていたこととか、個人史みたいなことに作品を通して出会えることは、超重要だなと思っていて。だからわたしは、その面白さをもっと突き詰めていきたい気がしてるんだよね。


haru.:「正しさ」とか「善きもの」みたいな、そういうものを初めから目指そうとすると、どんどん本質からズレていくっていうか……結局誰のものなんだろう? みたいになることはあると思うよ。


石原:社会的意義みたいなこととかね。


haru.:そうそう。もちろん、自分がつくるものは、社会に何かしらのいい作用があって欲しいと思っているんだけど、それがあまりに先行しちゃうと、結局ワクワクしないし、見た人も「自分だったらどうかな」って想像しづらくなると思う。
ZINEの良さって、やろうと思えば誰しもつくれることだと思ってて。絶対に真似できない圧倒的な表現って、目の前にした時にただ圧倒されて終わる感じもあって。体験としては面白いんだけど、それを実現するには、色んなものを犠牲にしたり、色んな人を巻き込まなきゃいけない場合も多いと思う。わたしはもっと身軽でいたいし、見た人に「自分にもできるかも」「自分だったらどうするかな、ワクワク」っていう気持ちを生めたら成功って思ってる。そのためにはやっぱり、自分の限りなく個人的なこともさらけ出さないといけない。


石原:具体的なものを差し出すと、向こうから具体的なものが返って来る。


haru.:そうそう。そういう意味では、自分に嘘をつけないっていうか。

石原:わたしはずっと演劇をつくりたいと思ってたけど、脚本が書けないことに悩んでて。でも大学2年生の時、当時めちゃくちゃTwitterをやってたから(笑)、ツイートの集積みたいなものなら書けるってことに、ハッと気づいたんだよね。脚本って、ものすごく立派な物語を書かなきゃいけないと思ってたけど、わたしが個人として感じていることを、ツイートするみたいになら書ける!  って。それ以降の作品は、ほとんど個人史的なものなんだよね。脚本家としてではなくて、俳優をやっている一人の人間の言葉として書くことにしよう、みたいな転換があった。一方で、誰かの手触りを探している、読者としての自分もいて。自分で何かをつくる時は、そういうものを作りたいなと思ったの。だから、今haru.が言っていたことにすごい共感した。


haru.:わたしも、マガジンをつくる時はそういう感じかも。商業誌みたいなものを作りたいわけじゃないんだよね。代官山蔦屋書店でフェアをやった時、『an・an』とか、誰もが知ってる大きな出版社の雑誌の近くに自分がつくったマガジンが置いてあるのが面白いなと思って。超個人的なものなのに、フォーマットが同じっていうだけで、ポピュラーな雑誌の隣に置いてある。バグが起きてる! と思って。ページをめくったら好き勝手言ってるのに、身近なものに擬態することで、みんなの日常になんとなく存在できちゃう。


石原:確かに。「こもごも団」の活動で、地域活動を取材してつくった新聞みたいなのを舞台作品にしたのも、地域の集まりという枠の中でちゃんと演劇をやる、みたいなことだったのかもしれないな。


haru.:普通に生活してたら出会わなそうな人に出会えるのも面白いよね。だから、ワークショップとかも結構好き。この間参加したワークショップでも、わたしのことも知らないし、アートに対しても「はて?」って感じの80歳の地元のおばあちゃんが参加してて。出会えて嬉しかったな。


石原:個人的なエピソードを提示すると、受け手からも返って来るものがあったり、普段は出会えないような人と出会うことができたり。プロジェクト全体を、何かそういう交流が生まれるようなつくりにしたいなと思いながら、本も舞台も頑張ってつくってるよ!

撮影・編集:小林舞衣(こもごも団)

profile

haru.

1995年生まれ。幼少から日本とドイツを行き来して育つ。東京藝術大学在学中にインディペンデント雑誌HIGH(er)magazineを編集長として創刊。2019年に株式会社HUGを立ち上げ、クリエイティブディレクション事業を展開。オルタナティブロックバンド「羊文学」のアルバムアートワーク他、化粧品ブランドORBISのpodcast番組「月曜、朝のさかだち」のパーソナリティを務める。

2024年には"人生の主役になるための下着"をテーマに、インナーウェアブランド「HEAP」をローンチ。ブランドのコンセプトブックとしてHIGH(er)magazineを復刊する他、雑誌の世界観を拡張したPodcast番組「take me high(er)」を配信中。

石原朋香

1996年東京都生まれ、北海道育ちの俳優、パフォーマー、デザイナー、ワークショップファシリテーター。東京藝術大学 大学院美術研究科 先端芸術表現専攻 修了。俳優として、ロロ、やしゃご、theater apartment complex libido: 、範宙遊泳などの舞台に出演する傍ら、自らが構成・演出・出演を兼ねた、ダンスと演劇の間のパフォーマンスを創作している。近年は、劇場以外の空間や、街全体を観客が歩き回るツアー形式の作品等、演劇や舞台という概念を拡張した企画にも積極的に参加。2019年〜2021年度、こまばアゴラ劇場「演劇を活用したワークショップ研修会」を受講し、ワークショップ講師として首都圏の学校現場等でも活動中。